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小津監督を巡る文献・資料

小津安二郎を巡る関連文献・資料

1933年の関連文献・資料

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書誌情報
1933
『キネマ旬報』No.458(1933年1月11日発行、キネマ旬報社、76頁)

表紙:グレタ・ニッセン
「内外封切映画 興行価値 また逢ふ日まで」(29頁)
※冒頭を部抜粋する。「従来一般的に興行価値の乏しいと言われていた小津作品としてはめずらしく吸引力を抱負に有する映画である。」
和田山滋「小津安二郎との一問一答」(46‐47頁)
飯田心美「主要日本映画批評 また逢ふひまで」(70頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信 小津安二郎氏は、『また逢ふ日まで』に次ぐ作品『非常線の女』の準備中。尚、北村小松氏原作脚色に依る『限りなき舗道』の撮影も決定している。」(72頁)

『友樂舘週報』No.150(1933年1月12日発行、福岡市東中洲友樂舘、12頁)

「封切迫る 限りなき舗道 小津安二郎監督」(8頁)

『友樂舘週報』No.152(1933年1月26日発行、福岡市東中洲友樂舘、12頁)

「封切迫る 限りなき舗道 小津安二郎監督」(12頁)

『帝國館ニュース』No.201(1933年2月2日発行、帝國館、12頁)

「東京の女 次週封切」(6-7頁)

『友楽館ニュース』No.154(1933年2月8日発行、福岡市東中洲町友楽館、12頁)

「北村小松最初の文藝大作 限りなき舗道 小津安二郎作品」(3頁)
「東京の女 東洋の文化大都市・東京を女で言描く魅力的力作 鬼才小津監督昨年来の秘密大作 突如発表!」(12頁)

『キネマニュース』二月第二週「東京の女(二)」(1933年2月9日発行、キネマニュース、1頁)

岡田嘉子
発行日がないので、封切日とした。

『キネマ旬報』No.461(1933年2月11日発行、キネマ旬報社、78頁)

表紙:フランセス・ディー
「昭和七年度 優秀映画推薦発表 日本映画首位(二十点)生まれては見たけれど(松竹蒲田作品)」(11頁)
「旬報グラフィック スチル『東京の女』」(58‐59頁) 
「日本映画紹介 東京の女」(66頁)
全面広告「東京の女」(72頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信 小津安二郎氏は着手した「非常線の女」を一時中止して、エルンスト・シュワルツ原作の「二十六時間」を翻案脚色した「東京の女」に着手した。野田高梧、池田忠雄両氏脚色カメラは茂原英朗氏、(詳細本號紹介欄参照)。」

『友樂館週報』第155號(1933年2月15日発行、福岡市東中洲友樂館、12頁)

「限りなき舗道 小津安二郎作品」(3頁)
「東京の女 スタッフ、キャスト、梗概」(4-5頁)

『新富座ニュース』No.9(1933年2月15日発行、新富座、8頁)

「東京の女」(表紙)
「東京の女 スタッフ、キャスト、梗概」(5頁)

『松竹直営錦糸舘』(1933年2月15日発行、錦糸舘、4頁)

「東京の女 スタッフ、キャスト、梗概」(2頁)

『松竹座ニュース』Vol.5 No.9(1933年2月15日発行、札幌松竹座、12頁)

「また逢ふ日まで 配役 梗概
 お知らせ 映画『また逢ふ日まで』は従来サウンド版として宣傳しておりました。併し今回突如更に蒲田撮影所より小津監督が制作者の良心から特に事故の好みにより作ったサイレント版特輯篇を送って参りましたので、是を封切豫定のサウンド版と差替えて、特に全国當座唯一軒の特輯サイレント版封切を敢行致します。
 之は今回の如き特殊週間の場合をして一層有意義ならしめる試みで、是こそ必ずやファン諸賢の御激賞を得らるる事と存じます。」(8-9頁)

『キネマ旬報』No.462(1933年2月21日発行、キネマ旬報社、84頁)

表紙:ルーペ・ベレス
「キネマ旬報主催、昭和七年度推薦名画鑑賞会
日時:三月七日午後六時開会
場所:丸ノ内朝日講堂
会費:金五十銭
プログラム 一、開会の辞 田中三郎
      二、挨拶 小津安二郎
      一、映画「生まれては見たけれど」説明 池田重近」(9頁)
北川冬彦「雑感一束 四、小津安二郎賞讃」(53頁)
※冒頭を引用する。「古いことばかりをいうようであるが、小津安二郎の『また逢う日まで』はいい映画であったことがなかなか忘れられない。コンティニュイティの緻密、カメラの正確、それは人々のいうところで、もちろん僕としても異議のないところなのだが、僕はあの映画の音響、伴奏にも相当感心したのである。ことに音響として、品川駅で発車する汽笛の音はすこぶる効果的であった。機関車の前半の上部の大寫が画面に出、白い汽笛の蒸気が噴き出すとともに鳴り出したあの汽笛の音は、別離の感情を十分に唆った。別離と言えば、老婆と恐らくその息子だろう。兵士とが別れを告げているところがあったが、あそこはひどく僕を打った。」
滋野辰彦「たわごと」(54頁)
※全篇、「東京の女」について書かれている。
北川冬彦「主要日本映画批評 東京の女」(76頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信(2月14日調査)小津安二郎氏は、「東京の女」を完成して、一時撮影を中止していた「非常線の女」を再び開始した。
「東京の女」
※冒頭を引用する。「小津安二郎の作品が興行的に成功した例は今迄に少ないようである。恒に、失敗しているという訳ではないが、何時も彼のものは普通の入りで、あまり栄ある興行成績を記録した例は今迄にないようである。例えば、最近の「青春の夢いまいづこ」「また逢う日まで」でも、わるい入りではなくとも普通の成績を出でたことはない。だからと言って、小津作品が興行的に意味を持たないのではなく、逆に立派な意義を持っている。小津作品というものは、他の松竹の現代映画が包含している観客層以外のものに、恒に触手を伸ばし、そして現在獲得している。例えば、知識階級層である。この層に今後深く食入る作品は、小津安二郎のものを置いて他にない。」

『松竹座週報』No.644(1933年2月22日発行、松竹キネマ直営松竹座、4頁)

「次週封切 東京の女 小津安二郎監督 脚色 野田高梧・池田忠雄 撮影 茂原英雄
 映画藝術家小津が全神経を打込んで、鋭いメスを揮ってものせる本篇は、泰西の文豪の名作『廿六時間』の舞台を東京にとり、大東京の全貌を女性をとほして描破せる近来の一大力作!」(1頁)

『キネマ旬報』No.463(1933年3月1日発行、キネマ旬報社、96頁)

表紙:ジョーン・クロフォード
「キネマ旬報主催 昭和七年度推薦名画鑑賞会
 一、挨拶 小津安二郎 菅原秀雄 突貫小僧
 一、映画 「生まれては見たけれど」」(9頁)
東海林透「読者寄書欄 小津安二郎への一結論-『東京の女』から-」(64-65頁)
※冒頭を引用する。「『東京の女』が上映された。またまた小津安二郎礼讃記に新しい一頁が付け加えられることであろう。」
森川繁夫「読者寄書欄 「東京の女」に就いて」(65頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信(2月24日調査)小津安二郎氏は「東京の女」完成引き続き「非常線の女」の撮影開始。 

『月刊映画と演藝』第十巻第三号(1933年3月1日発行、東京・大阪朝日新聞社、48頁)

表紙:スザンヌ・フレミング
「近代趣味」(18―19頁)
※松竹蒲田映画「東京の女」「弟のためにバアで働く可哀想な姉、その姉の失策をあばく巡査というのが弟の恋人の兄だったとは―。皮肉な運命の悪戯を僅々廿六時間以内に起こった事件を通して描こうという、才人小津安二郎独特の野心的な映画だ。役者も粒揃いだからこの効果期して待つべきものがあるだろう。」
「2月から3月へ―新映画漫評録―」(32頁)
※「東京の女」(松竹蒲田映画)「ここにまた「また逢う日まで」と共通する小津安二郎の一つの心境がある。真面目な弟に学費を貢ぐために昼は会社で働き、夜は安酒場で稼いであまつさへ春をまで売ろうという「姉」のために、実情を知った弟は自殺する、弟の恋人と姉とは呆然として自失する。馳せつけた新聞記者たちは、而もこうした事件の「平凡さ」にあきて生欠伸とともにアッチへ行ってしまう。というただこれだけのストオリイを六千何百呎かのセルロイドの帯に記録するのに小津安二郎は今恐ろしくクソ真面目である。概して低位置においたキャメラ、終始「紗」を透した様な調子に保つライト。、長い長い
カットを丹念に組み合わせ、按配して得た緩慢なテンポ、そしてそこには岡田嘉子の素敵もない芝居があった。この岡田嘉子の前には、妹の田中絹代も、弟の江川宇礼雄も全く影が薄い。尤もそういうことは姉に意力を集中しすぎて他の二人に必然的のニグレクトが及んだ、と考えることは決して間違いではないが、それにしても岡田嘉子のこの功績は「また逢う日まで」の場合と相譲らざる輝きに満ちている。小津安二郎を恐れよ!今こそ安心してこの言葉を出し得る筆者の何という大きな喜びか。

『新宿松竹館週報』Vol.9 No.10(1933年3月1日発行、新宿松竹館、

「非常線の女 近代社会の一断層に映る惡の華、テロ横行恐怖時代-悪の世界を赤裸々に描く文明都市末期相
近日封切 乞御期待」(8頁)

松竹キネマ大阪支店宣傳部編『歌舞伎座週報』第四巻第十二号(1933年3月1日発行、京都新京極歌舞伎座、8頁)

「非常線の女」(裏表紙)
発行日がないので、今週の映画「応援団長の戀」の封切日とした。

松竹キネマ大阪支店宣傳部編『歌舞伎座週報』第四巻第十三号(1933年3月15日発行、京都新京極歌舞伎座、8頁)

「予告 非常線の女」(7頁)
発行年がないので、今週の映画『無宿佐太郎』の封切日とした。

『キネマ旬報』No.465(1933年3月21日発行、キネマ旬報社、80頁)

表紙:タラ・ビレル
「旬報グラフィック 田中絹代 「非常線の女」の服装にて」(61頁)
「日本映画紹介 非常線の女」(70頁)
「日本各社 撮影所通信 松竹蒲田通信(3月13日調査)小津安二郎氏は、「非常線の女」撮影中。」(78頁)

松竹キネマ大阪支店宣傳部編『歌舞伎座週報』第四巻第十四号(1933年3月23日発行、京都新京極歌舞伎座、8頁)

「非常線の女 小津安二郎監督作品
 荒くれ男を尻目にかけて凄いタンカを切るモダン姐御ギャング娘にも人の子の純情がある。これは都会の暗黒街に起った猟奇の物語!」(2頁)
発行日がないので、今週の映画「孔雀船」の封切日とした。

『横濱常設館週報』第七十二號(1933年3月23日発行、横濱常設館、8頁)

「近日封切 非常線の女
 田中絹代・岡譲二主演
 オールスターキャスト
 原作 ジェームス・槇
 脚色 池田忠雄
 撮影 茂原英雄 
 小津安二郎監督大作
 大東京をバックに跳梁する男女ギャング團
 義理・人情・戀愛・そして拳銃に散る火花
 大東京のブロードウェイ・暗黒街の大軋轢」(2頁)

『松竹座週報』No.649(1933年3月28日発行、松竹キネマ直営松竹館、4頁)

「生まれては見たけれど スタッフ、梗概」(2頁)
「非常線の女」(4頁)

『映画往来』第九巻(1933年4月1日発行、往來社、81頁)

滋野辰彦「小津安二郎についての感想」(22-30頁)
※一部を抜粋する。「ところがある若い監督が、かつてこんなことを云った。小津安二郎のように比較的自由を許されるのは、彼がすでに堂々たる大家であるからだ。彼は今までに「淑女と髯」の如き映画を作って会社を儲けさしている。それだから興行価値のない「生まれては見たけれど」を作る自由も與へられるのである。われわれもそういう自由が與へられる時になったら、単なる商品ではない映画を作るために努力してみたいと思う。こうした弁解は小津安二郎を語った若い監督ばかりではない。伊藤大輔の弟子であった監督も、丁度これと同じことを云ったのを聞いたが、これはボンヤリしていると、大変健気な心懸けのように思われるのだが、実はこんな莫迦げた話はないのだ。伊藤大輔も小津安二郎も、会社をどれ位儲けさしたか私の知らないことだが、この二人は良い映画を作ったから大家と呼ばれるので、大家になったから良い映画が作れるのではないのだ。「淑女と髯」は儲かったかもしれないが、私はこれを商品一点張りの映画だと考えたことはない。」(24頁)
谷本四郎「『東京の女』の主題に就いて」(31-35頁)
※冒頭を抜粋する。「我が国に於ける極少数な真摯なるシネアストの中に於いて、最も良心的であり、最も進歩的である小津安二郎ん、近作「東京の女」に就いては、もはや、凡てが言い尽くされているかもしれない。」(31頁)

『横濱常設館週報』第七十三號(1933年4月1日発行、横濱常設館、8頁)

「封切迫る 非常線の女 小津安二郎監督春季大作」(2頁)

『キネマ旬報』No.467(1933年4月11日発行、キネマ旬報社、76頁)

表紙:キャスリン・バーク
小津安二郎「犯罪都市を語る」(47頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信(3月24日調査)小津安二郎氏は、「非常線の女」を近日完成」(74頁)

『横濱常設館週報』第七十五號(1933年4月13日発行、横常編輯部、4頁)

「問題の大作封切迫る 非常線の女」(4頁)

『帝國館ニュース』No.212(1933年4月20日発行、浅草帝國館、12頁)

「撮影所通信 非常線の女 日本最初の本格的ギャング映画として小津監督が懸命製作せる作品。ギャングの女頭目が、純情な少女の切なる願ひに次第次第に人間性をとり戻して行く、その心理の動きが、小津監督の手法と絹代の演技で彫琢されて行きます。岡譲二共演。次週封切!」(3頁)
「来週封切 本格的一大ギャング映画 非常線の女」(6-7頁)

『帝國館ニュース』No.213(1933年4月27日発行、浅草帝國館、12頁)

「非常線の女」(表紙)
「非常線の女 スタッフ、キャスト、梗概」(4頁)

『新宿松竹舘週報』Vol.9 No.18(1933年4月27日発行、新宿松竹館、10頁)

「非常線の女」(表紙)
「スタヂオにゅうす 小津組「非常線の女」を完成一週直ちに封切。(カットは撮影中の小津監督、岡譲二、田中絹代)」(5頁)
「非常線の女
 原作:ジェームス・槇
 脚色:池田忠雄
 監督:小津安二郎
 撮影:茂原英雄
 キャスト
 略筋」(7頁)

『非常線の女』(1933年、松竹座)

非常線の女
この映画こそ狂いなきブローニングの一發!皆様の胸に力強い衝動を捲き起そう
映聖小津の好一篇

『第一東京市立高等女學校 創立記念號』(1933年5月1日発行、第一東京市立高等女學校、4頁)

「東京の女 スタッフ、キャスト、梗概」(3頁)
「映画の話 「東京の女」其他 東京市教育局 關野嘉雄」(4頁)

『キネマ旬報』No.471(1933年5月21日発行、キネマ旬報社、80頁)

表紙:カレン・モーレー
久野信「読者寄稿欄 「非常線の女」」(57-58頁)
北川冬彦「主要日本映画批評 非常線の女」(74頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信(5月10日調査)小津安二郎氏は、「非常線の女」完成後次回作品準備中。」(80頁)

『キネマ旬報』No.473(1933年6月11日発行、キネマ旬報社、78頁)

表紙:ルース・チャッタートン
林高一「読者投稿欄 小津安二郎の小市民イデオロギーに就いて」(50頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信(6月1日調査)小津安二郎氏は、目下、休養中。」(76頁)

『横濱常設館週報』第八十九号(1933年7月20日発行、横濱常設館、8頁)

「乞御期待 出来ごころ」(2頁)

『パテ―ベビー月報』第四十二號(1933年8月1日発行、パテ―ベビー月報社、14頁)

表紙:『和製喧嘩友達』
「S-64 新作正喜劇映画 和製喧嘩友達(全二巻)特大罐二巻 定価各貳拾四圓 配役、梗概、字幕」(2-3頁)
※全字幕が掲載されている。第一巻は字幕17、第二巻は字幕9である。本作は、長らく失われたと考えられていたが、1997年に新潟県南魚沼郡塩沢町の宇賀山家でこのパテ―ベビー版が発見され、フィルムセンターに寄贈された。

松竹キネマ大阪支店宣傳部編『歌舞伎座週報』第五巻第七號(1933年8月1日発行、京都新京極歌舞伎座、8頁)

「予告 出来心」(2頁)

『新宿松竹館週報』Vol.9 No.32(1933年8月3日発行、新宿松竹館、12頁)

「近日封切 出来ごころ 小津安二郎監督」(7頁)

『新宿松竹館週報』Vol.9,No.34(1933年8月17日発行、新宿松竹館、12頁)

「出来ごころ 近日封切」(7頁)

『新宿松竹館週報』Vol.9 No.35(1933年8月24日発行、新宿松竹館、12頁)

「近日封切 出来ごころ」(7頁)

松竹キネマ大阪支店宣傳部編『歌舞伎座週報』第五巻第九號(1933年8月25日発行、京都新京極歌舞伎座、8頁)

「出来ごころ」(7頁)
発行日がないので、今週の映画「与太者と海水浴」の上映日とした。

『映画藝術研究』第四輯(1933年8月25日発行、藝術社、193頁)

杉本俊一「日本新鋭しねあすと拾人抄 -その走りがき的素描」(76―89頁)
※冒頭を引用する。「ここにかかげる十人は日本映画界を代表する新鋭シネアストである。昨日の人ではなく今日あるひは明日を背負うであろう人びとであることに間違いはない。つまり、これらの人びとが日本映画をつねに代表してくれるだろうと信じる。」(76頁)
「山上伊太郎氏」(78―79頁」
「伏見晃氏」(79―81頁)
「小林正氏」(81―82頁)
「伊丹萬作氏」(82―83頁)
「小津安二郎氏」(83―84頁)
「木村荘十二氏」(84―85頁)
「小石榮一氏」(85―86頁)
「山中貞雄氏」(86―87頁)
「稲垣浩氏」(87―88頁)
「内田吐夢氏」(88―89頁)

『漫劇 出来心』(1933年9月発行、キングレコード)

KING RECORD TELEFUNKEN RECORDING
キング 11024
漫劇 出来心(上・下)飯田蝶子、坂本武、突貫小僧

※当時の飯田蝶子、坂本武、突貫小僧の肉声が聞ける貴重なレコードである。

『横濱常設館週報』No.94(1933年9月7日発行、横常編輯部、8頁)

「長屋紳士録第一話 出来ごころ
 原作 ジェームス・槇
 脚色 池田忠雄
 監督 小津安二郎
 撮影 杉本正二郎
 配役、梗概」(6頁)

『新橋ニュース』No.139(1933年9月14日発行、新橋キネマ、8頁)

「長屋紳士録第一話 出来ごころ 次週上映」(7頁)

『上のすずもと・ニュース・上野鈴本キネマ週報』No.40 (1933年9月14日発行、上野鈴本キネマ、4頁)

「松竹映画 出来ごころ スタッフ、配役、梗概」(2-3頁)

『新橋ニュース』No.140(1933年9月21日発行、新橋キネマ、8頁)

「出来ごころ」(表紙)
「出来ごころ スタッフ、配役、梗概」(4-5頁)

『キネマ旬報』No.484(1933年10月1日発行、キネマ旬報社、104頁)

表紙:リリアン・ハーヴェイ
北川冬彦「主要日本映画批評 出来ごころ」(97頁)
※一部抜粋する。「これは、『生まれては見たけれど』以来の小津安二郎の傑作だ。「青春の夢いまいずこ」や「非常線の女」では、どうも監督者の意気の上がっていないのを感じたが、この「出来心」では、監督者の息遣いが、一場面一場面ごとに覗はれた。」
「撮影所通信 松竹蒲田通信(9月21日調査)小津安二郎氏は、「出来ごころ」完成、次回作品の準備中。」(104頁)

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