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小津監督を巡る文献・資料

小津安二郎を巡る関連文献・資料

1932年の関連文献・資料

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書誌情報
1932
『ASAHIZA NEWS』4・2(1932年1月発行、朝日座、12頁)

「城田二郎が新境地の快演技と鬼才小津安二郎監督の手腕による、『春は御婦人から』を第二回作品としてその眞価を発揮す。」10頁)
「鬼才小津安二郎監督 春は御婦人から 近日封切」(12頁)
 

『歌舞伎座ニュース』2・5(1932年1月発行、歌舞伎座、11頁)

「蒲田特作 春は御婦人から
 原作 ジェームズ・槇
 監督 小津安二郎
 脚色 池田忠雄
    柳井隆雄
 撮影 茂原英雄
 配役、梗概」(8頁)

『キネマ旬報』新年特別号No.422(1932年1月1日発行、キネマ旬報社、196頁)

表紙:メーリー・ブライアン
カラー全面広告「春は御婦人から」(112頁)
「日本映画紹介 生れては見たけれど」(119頁)
「日本映画紹介 春は御婦人から」(126頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信 小津安二郎氏は、既報「春は御婦人から」の撮影中、近日完成。」(155頁)
「昭和六年度の日本映画 松竹 小津安二郎」(168頁)
「映画関係者住所録 昭和六年度末現在 小津安二郎 東京都深川区亀住町二(本所一0二五)」(177頁)

『新宿松竹館週報』Vol.8 No.2(1932年1月7日発行、新宿松竹館、12頁)

「春は御婦人から 小津安二郎監督作品」(8頁)

『新宿松竹館週報』Vol.8 No.3(1932年1月14日発行、新宿松竹館、12頁)

「春は御婦人から 鬼才小津安二郎監督作品
 城多二郎第二回主演
 齋藤達雄、井上雪子、阪本武、泉博子助演
 原作 ゼームス・槇
 脚色 池田忠雄
    柳井隆雄
 撮影 茂原英雄
 春が来る。春が来る。春は馬に乗って?いいや飛行機に乗って?
 いいやそれでもない。
 春は御婦人から-
 そうだ-この名映画から-この超特作から。
 蒲田が誇るスマートな近代的映画です。」(10頁)

『松竹館ニュース』No.6(1932年1月29日発行、浅草松竹館、8頁)

「春は御婦人から
 スタッフ、配役、梗概」(4頁)

『帝國館ニュース』No.151(1932年2月4日発行、浅草帝國館、12頁)

「斎藤達雄、吉川満子主演 生まれては見たけれど 小津安二郎監督」(8頁)

『帝國館ニュース』No.152(1932年2月11日発行、浅草帝國館、12頁)

「斎藤達雄、吉川満子主演 生まれては見たけれど 小津安二郎監督」(7頁)

『キネマ旬報』No.426(1932年2月11日発行、キネマ旬報社、88頁)

表紙:グレタ・ガルボ
和田山滋「主要日本映画批評 春は御婦人から」(71頁)
※冒頭を引用する。「これは小津安二郎の嘗て発表した『美人哀愁』を忍ばせるような作品である。」
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信 小津安二郎氏は城多二郎氏主演の『春は御婦人から』を完成。『生まれては見たけれど』の完成を急いでいる。」(78頁)

『キネマ旬報』No.430(1932年3月21日発行、キネマ旬報社、74頁)

表紙:ミリアム・ホプキンス
「旬報グラフィック 昨年末政策中ばに、この子供たちに倒れられて一時中止していた「生まれては見たけれど」の鋭意撮影を続行している最近のスナップ 右から突貫小僧 小津安二郎監督 菅原英雄」(53頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信(3月24日調査)小津安二郎氏:欠」(69頁)

『映畫之友』第十巻第四號(1932年4月1日発行、映畫世界社、136頁)

表紙:川崎弘子
筈見恒夫「映畫月旦」(52頁)
※この文章の冒頭は次のようである。「この不振を見よ。松竹も、日活も、新興キネマも、一二の例外を除くと駄作連発だ。」小津安二郎への言及は次の通りである。「松竹にしても、決して、今良い条件で仕事をしているわけではないらしい。紅葉山人が知らなかった化粧品を新釋した「金色夜叉」、五日間?で出来上がった「情熱」、小津安二郎の「春は御婦人から」-最後の作品の場合には、殊に撮影所の条件が全体をスポイルしたに違いない。大學は出たけれど、落第はしたけれど、-この二つのモチィーフが前に小津安二郎の言わんとするところを強く生かした。就職難の世相が持っている矛盾を、春風のように、朗らかな感触で包容しようとする小津安二郎の意図は、しかし思い切って貫き通せなかった理由がある。つづく‥」

『帝國館ニュース』No.159(1932年4月1日発行、浅草帝國館、16頁)

「生まれては見たけれど 近日封切
 齋藤達雄、吉川満子、突貫小僧、菅原秀雄主演
 阪本武、小藤田正一、飯島善太郎、葉山正雄ベビースター総出演
 監督 小津安二郎
 原作 ジェームズ・槇
 脚色 伏見晃
 撮影 茂原英雄
 オヤジは僕たちに偉くなれと言う
 では一体オヤジはどんなに偉い人
 だろう?‥僕たちは疑わざるを得ない
 小津監督ならではの心境映画!」(12頁)

『帝國館ニュース』No.161(1932年4月14日発行、浅草帝國館、16頁)

「大人の見る絵本 生まれては見たけれど 近日封切」(11頁)

『キネマ旬報』No.433(1932年4月21日発行、キネマ旬報社、86頁)

表紙:シドニー・フォックス
「生まれては見たけれど」(広告)(64頁)
「日本各社撮影所通信 編輯部 松竹蒲田通信(4月15日調査)小津安二郎氏は、大人の見る絵本「生まれては見たけれど」を完成、封切準備中。」(81頁)

『TOYO NEWS』No.20(1932年4月22日発行、廣島東洋座編輯部発行、4頁)

「生まれては見たけれど 小津安二郎監督一流のユーモア溢れる社会風刺の獨特心境映画の絶佳篇」(4頁)

『大崎キネマ』(1932年4月29日発行、大崎キネマ、4頁)

大崎キネマ 電話高輪四九一一番
松竹名画陣「生れては見たけれど」松竹蒲田ベビースター總出演 監督小津安二郎

『帝國館ニュース』No.163(1932年4月29日発行、浅草帝國館、16頁)

「大人の見る絵本 生まれては見たけれど 近日封切」(12頁)

『キネマ旬報』No.437(1932年6月1日発行、キネマ旬報社、88頁)

表紙:アニタ・ペイヂ
一面広告「また逢ふ日まで」(69頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信(5月24日調査)小津安二郎氏の次回作品として、野田高梧氏の脚本になる、悲劇「また逢ふ日まで」に着手、キャストは女(岡田嘉子)、男(岡譲二)、男の父(奈良眞養)、男の妹(川崎弘子)、女中(飯田蝶子)、女の友達(伊達里子)

『帝國館ニュース』No.169(1932年6月10日発行、浅草帝國館、12頁)

「また逢ふ日まで 脚色 野田高梧・監督 小津安二郎」(9頁)

『帝國館ニュース』No.170(1932年6月17日発行、浅草帝國館、12頁)

「近日封切 オール・サウンド版 また逢ふ日まで」(9頁)

『キネマ旬報』No.439(1932年6月21日発行、キネマ旬報社、80頁)

表紙:ローレッタ・ヤング
奥村康夫「読者寄書欄 生まれては見たけれど」(50-51頁)
橋本伸介「読者寄書欄 近代人としての小津安二郎 「生まれては見たけれど」を観て」(51-52頁)
「旬報グラフィック 「抱寝の長脇差」「小判しぐれ」「小笠原壹岐守」を発表して混迷せる今日の時代劇界に断然ズバ抜け異彩を放った、山中貞雄、嵐寛壽郎(右)と、目下「口笛を吹く武士」撮影中」(58頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信(6月15日調査)小津安二郎氏は、岡譲二、岡田嘉子、川崎弘子のキャストで本格的メロドラマ「また逢ふ日まで」(サウンド版)撮影中。」(75頁)

『キネマ旬報』No.440(1932年7月1日発行、キネマ旬報社、100頁)

表紙:ドロシイ・ジョーダン
「松竹特作さうんど版 また逢ふ日まで」(カラー広告)(80頁)
北川冬彦「主要日本映画批評 生まれては見たけれど」(90頁)
※冒頭を引用する。「これは、まことに優れた映画だ。最近に於ける蒲田映画の中で群を抜いた。いな、この国に於いても第一流の、そうたやすくは現れない傑作映画だ。」
「日本各社撮影所通信 編輯部 松竹蒲田通信(6月25日調査)小津安二郎氏は、岡譲二、岡田嘉子主演の「また逢ふ日まで」撮影中。」(93頁)

『帝國館ニュース』No.173(1932年7月15日発行、浅草帝國館、12頁)

「近日封切 オール・サウンド版 また逢ふ日まで」(11頁)

『新富座ニュース』No.39(1932年7月15日発行、新富座、12頁)

「オール・サウンド版 また逢ふ日まで」(7頁)

『横浜常設館週報』No.35(1932年7月15日発行、横濱常設館、8頁)

「また逢ふ日まで 鬼才小津安二郎監督特作」(7頁)

『新橋キネマ』No.78(1932年7月22日発行、新橋キネマ、8頁)

「オール・サウンド版 また逢ふ日まで
 近日封切 」(6頁)

『横浜常設館週報』No.38(1932年8月5日発行、横濱常設館、8頁)

「近日封切 また逢ふ日まで 小津安二郎監督快心篇」(2頁)

『帝國館ニュース』No.177(1932年8月12日発行、浅草帝國館、10頁)

「また逢ふひまで 監督小津安二郎」(8頁)

『帝國館ニュース』No.178(1932年8月19日発行、浅草帝國館、12頁)

「また逢ふ日まで」(10頁)

『帝國館ニュース』No.181(1932年9月9日発行、浅草帝國館、12頁)

「青春の夢いまいづこ! 近日封切 青春・友情・若き日の夢再びは巡り来ず!!!」(9頁)

『キネマ旬報』No.448(1932年9月21日発行、キネマ旬報社、70頁)

表紙:ケート・フォン・ナギイ
「日本映画紹介 青春の夢いまいづこ」(56-57頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信(9月15日調査)小津安二郎氏は、「青春の夢いまいづこ」を撮影中。」(64頁)

『帝國館ニュース』No.183(1932年9月22日発行、浅草帝國館、12頁)

表紙に「飯田蝶子」のサイン
「撮影所通信 ★青春の夢 小津監督の『青春の夢いまいづこ』の撮影も進んでいます。学生生活の純情と淡い感傷と友情をあなたに贈ります」(3頁)
「近日封切 青春の夢いまいづこ」(9頁)

『帝國館ニュース』No.185(1932年10月6日発行、浅草帝國館、12頁)

「青春の夢いまいづこ!」(8頁)
「限りなき舗道」(10頁)

『キネマ旬報』No.450(1932年10月11日発行、キネマ旬報社、74頁)

表紙:マリアン・ニクスン
「旬報グラフィック
小津安二郎氏が目下馬力をかけて製作中の「青春の夢いまいづこ」のスナップ
で右から 江川宇禮雄、田中絹代、小津安二郎、茂原英雄」(50頁)
※田中絹代が座るディレクターズチェアーにAUDZUの文字。
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信(10月5日調査)小津安二郎氏は、「青春の夢いまいづこ」の完成を急いでいる。完成後着手する作品は、北村小松が。大毎、東日に連載した「限りなき舗道」と決定している。」(69頁)
「蒲田作品「青春の夢いまいづこ」のセット・スナップで、
右から監督小津安二郎、茂原英雄キャメラマン、主演の江川宇禮雄と田中絹代」(69頁)

『帝國館ニュース』No.186(1932年10月13日発行、浅草帝國館、12頁)

「「青春の夢いまいづこ スタッフ、配役、梗概」(4-5頁)

『横濱常設館週報』第四十八號(1932年10月13日発行、横濱常設館、8頁)

「青春の夢いまいづこ 
  原作 野田高梧
  監督 小津安二郎
  撮影 茂原英雄
  キャスト
  君よ高らかに讃え給へ、再び廻り来ぬ青春を。大学生活は男子にとって人生の華である。心ゆくまで謳わねばならない。そうした信念の下に出来得る限り学校を休み、暇さえあれば喫茶店へ入浸っている青年の一団。堀野商事の社長の息子哲夫を盟主にズボラグループは毎日フロリダ・ベーカリーへ通い詰めていた。‥」(4頁)

『歌舞伎座週報』第三巻第十七號(1932年10月13日発行、歌舞伎座、8頁)

「青春の夢いまいづこ スタッフ、配役、梗概」(4-5頁)
「限りなき舗道 小津安二郎監督」(8頁)

『帝國館ニュース』No.187(1932年10月20日発行、浅草帝國館、12頁)

「また逢ふ日まで 監督 小津安二郎 限りなき舗道 東日連載 原作脚色 北村小松 監督 小津安二郎」(10頁)

『歌舞伎座週報』第二巻第二三號(1932年11月発行、歌舞伎座、8頁)

「また逢ふ日まで 小津安二郎監督 野田高梧脚色」(6頁)

『歌舞伎座週報』第三巻第十九號(1932年11月発行、歌舞伎座、8頁)

「また逢ふ日まで 小津安二郎監督作品 近日封切」(5頁)

松竹キネマ大阪支店宣傳部『歌舞伎座週報』第三巻第廿三號(1932年11月24日発行、京都歌舞伎座、8頁)

「また逢ふひまで 
 スタッフ、配役、梗概」(3頁)

『帝國館ニュース』No.192(1932年11月24日発行、浅草帝國館、12頁)

「また逢ふ日まで」(表紙)
「今週の番組 土橋式松竹フォーンオール・サウンド版 また逢ふ日まで」(3頁)
「また逢ふ日まで スタッフ、配役、梗概 主題歌作詩:サトウ・ハチロー 指揮・作曲:高階哲夫」(6頁)

『朝日座ニュース』(1932年12月16日発行、朝日座、7頁)

「新春封切映画 城多二郎第二回主演映画 春は御婦人から」(5頁)

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