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小津監督を巡る文献・資料

小津安二郎を巡る関連文献・資料

1931年の関連文献・資料

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書誌情報
1931
『キネマ旬報』No.387(1931年1月1日発行、キネマ旬報社、280頁)

表紙:ジャネット・ゲイナー
「髯と淑女」(カラー全面広告)(159頁)
「映画人住所録 小津安二郎 東京市深川区龜住町二(本所一〇二五)」(262頁)

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』冨士新年號(第四巻第一號)附録(1931年1月1日発行、大日本雄辯會講談社、358頁)

「芝居の部」(1-154頁)
「映画の部」(155-316頁)
「外国映画の部」(317-357頁)
※小津組の俳優は、「岡田時彦」(166頁)、「渡邊篤」(167頁)、高田稔(168頁)、結城一朗(169頁)、齋藤達雄(170頁)、吉谷久雄(171頁)、横尾泥海男(172頁)、青木富夫・小藤田正一(175頁)、栗島すみ子(177頁)、飯田蝶子(179頁)、八雲恵美子(180頁)、田中絹代(182頁)、川崎弘子(193頁)、吉川満子(194頁)など。

『帝國館ニュース』No.94(1931年1月5日発行、浅草帝國館、12頁)

「岡田時彦巧妙細緻の至芸發揮 淑女と髯 鬼才小津安二郎監督大傑作名篇」(11頁)

『帝國館ニュース』No.95(1931年1月10日発行、浅草帝國館、12頁)

「岡田時彦主演巧妙細緻の至藝發揮 淑女と髯 近日封切 鬼才小津安二郎監督薀蓄傾注諷刺正喜劇」(11頁)

『サンデー毎日』第十年第四號(1931年1月18日発行、大阪毎日新聞社、44頁)

表紙:マリー・プレヴオ
誌上映画「松竹蒲田映画 淑女と髯 小津安二郎監督」(16-17頁)

『帝國館ニュース』No.97(1931年1月22日発行、浅草帝國館、12頁)

「岡田時彦主演巧妙細緻の至藝發揮 淑女と髯 近日封切
 『お嬢さん』の名トリオ、岡田、北村、小津が再び凝って玆に送る玲瓏無比の感激の名篇」(4頁)

『キネマ旬報』No.390(1931年2月1日発行、キネマ旬報社、128頁)

田中敬三「読者寄書欄 編輯部選 解剖「お嬢さん」(又は村上氏に寄す)」(68頁)
「淑女と髯」(カラー広告、河野鷹思デザイン)(83頁)
「銀河」(カラー広告)(82頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信(1月21日調査)小津安次郎(ママ)氏。「淑女と髯」完成後、次回作品準備中。」(105頁)

『キネマ旬報』No.391(1931年2月11日発行、キネマ旬報社、156頁)

表紙:グレタ・ガルボ
「昭和五年度優秀映画投票総得点発表
二位 お嬢さん 687
八位 落第はしたけれど 48
10位 足に触った幸運 34
13位 その夜の妻 25
28位 結婚學入門 5」(74頁)
中川信夫「読者寄書欄 北村小松と小津安二郎」(106-107頁)
「日本映画紹介 銀河」(122頁)
一面広告「銀河」(128頁)
「撮影所通信 松竹蒲田通信(2月3日調査)小津安二郎氏。「淑女と髯」完成後、鋭意次作品の選定中、此程漸く決定した。発表はニ三日の中」

『新宿松竹館週報』第七巻第八號(1931年2月13日発行、新宿松竹館、10頁)

北村小松「髯について」(2頁)
「淑女と髯 
 原作脚色 北村小松
 ギャグマン ヂェームス槇 
 監督 小津安二郎
 撮影 茂原英雄
 編輯 栗林實
 配役 梗概」(4頁)

『銀河 先代萩』(1931年2月14日発行、末廣座、1頁)

「銀河 十八巻上映 原作 加藤武雄氏 
 監督 清水宏、小津安二郎

 小津安二郎監督や成瀬巳喜男監督が応援監督をしていることについては、『キネマ旬報』No.392(1931年2月21日号)106頁の「撮影所通信:松竹蒲田通信」に、「小津安二郎氏。清水宏監督の「銀河」のスキーシーンを撮影することを委嘱され、一行三十餘名を率いて赤倉スロープに出発した。尚、小津氏は、一昨年「若き日」において、スキーシーン撮影に独特の手腕を発揮した故、斯界から非常に期待されている。」一方で、「成瀬巳喜男氏は引続き休養中。清水組の「銀河」の特別シーンの撮影を応援した。」と書かれている。
 この資料によって、銀河を小津安二郎が監督したことをはっきりと確認することができる。

『新宿松竹館週報』第七巻第九號(1931年2月20日発行、新宿松竹館、8頁)

北村小松「髯について 原因、結果」(3頁)
「淑女と髯 キャスト、配役、梗概」(4頁)

『キネマ旬報』No.392(1931年2月21日発行、キネマ旬報社、120頁)

表紙:グロリア・スワンソン
「小型映画らん 紹介と批評『大學は出たけれど』16ミリ400尺 制作マーベルグラフ」(72頁)
友田純一郎「主要日本映画批評 淑女と髯」(104頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信 小津安二郎氏。「淑女と髯」完成後、鋭意次作品を選定中。清水宏氏監督の「銀河」のスキーシーンを撮影することを委嘱され、一行三十餘名を率いて赤倉スロープに出発した。猶、小津氏は、一昨年「若き日」に於て、スキーシーン撮影に独特の手腕を発揮した故、斯界から非常に期待されている。」(106頁)
※清水宏『銀河』の一部シーンを小津監督が撮影したことが分かる。

『新宿松竹館週報』第七巻第十號(1931年2月27日発行、新宿松竹館、8頁)

「今週のプログラム 南国太平記、独唱淡谷のり子、銀河」
「銀河(主題歌)」(3頁)
「銀河 スタッフ、配役、梗概」(4-5頁)

『大井館ニュース』第十號(1931年2月27日発行、大井館、4頁)

「淑女と髯
 原作脚色 北村小松
 監督   小津安二郎
 撮影   茂原英雄
 編輯   栗林實
 配役
 梗概  」(3頁)

『帝國館ニュース』No.110(1931年4月24日発行、浅草帝國館、16頁)

「スタジオ往来 『美人哀愁』これは、私の一の試みです。私の今迄の作品とは毛色の異なった、極めて浪漫的な作品です。それだけに希望もあり、懸念もあるのです。しかし近代人岡田時彦君、井上雪子嬢、よきカメラ茂原君の熱心さは私を希望的にさせずには置きません!とまれ私の一の試みです。御期待を裏切らねば幸甚!」小津安二郎」(5‐6頁)
「美人哀愁」(14-15頁)

『朝日座ニュース』(1931年5月、朝日座、8頁)

「蒲田ゴシップ集 美人哀愁」「美人哀愁スナップ キャメラ茂原英雄、台本を手にする監督小津安二郎 吉川満子、岡田時彦」(2頁)
「岡田時彦・井上雪子主演映画 美人哀愁」(7頁)

マッチラベル『美人哀愁』(1931年5月)

「美人哀愁 小津安二郎監督作品 近日封切」

櫻井祐吉編『郷土の本居宣長翁』(1931年5月1日発行、郷土會館出版部、161頁)

「宣長翁の生家小津氏に就て」(17-26頁)
「本居氏中興の祖たる小津七右衛門道印の事」(27-31頁)
「小津家(本居家となりし)江戸店興廢の顛末」(31-39頁)

『松竹座ニュース』第五百八十四號(1931年5月8日発行、金澤市香林坊松竹直営松竹座、4頁)

「「お嬢さん」「淑女と髯」などの制作者鬼才小津安二郎監督が在来の心境物よりロマンティシズムへの転向を示す最も野心的なる作品 アンリ・ド・レニエ原作の『大理石の女』より 小津安二郎監督作品 美人哀愁」(4頁)

『帝國館ニュース』No.113(1931年5月11日発行、浅草帝國館、12頁)

「近日封切 美人哀愁」(12頁)

『新宿松竹館週報』第七巻第廿一號(1931年5月15日発行、新宿松竹館、8頁)

「近日封切 美人哀愁」(2頁)

『新歌舞伎座週報』(1931年5月31日発行、新歌舞伎座、16頁)

「美人哀愁 スタッフ、配役、梗概」(4-5頁)

『キネマ旬報』No.403(1931年6月11日発行、キネマ旬報社、100頁)

表紙:フィフィ・ドルセイ
和田山滋「主要日本映画批評 銀河」(82-83頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信(6月4日調査)小津安二郎氏は、『美人哀愁』完成後、休養中。」
「蒲田の岡田時彦と小津安二郎監督が日活の伏見直江と共に帝キネスタジオを訪れた時のスナップ」(87頁)

『キネマ旬報』No.404(1931年6月21日発行、キネマ旬報社、82頁)

表紙:ケイ・フランシス
黒木川喬「編輯部選・読者寄書欄 『巴里の屋根の下』と『美人哀愁』に就いて (賞)」(53頁)
和田山滋「主要日本映画批評 美人哀愁」(75頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信 小津安二郎氏は『美人哀愁』完成後、暫らく休養。」(78頁)

『丸の内帝國劇場 番組』(1931年8月発行、丸の内帝国劇場、12頁)

「社會劇 東京の合唱 
  スタッフ、配役、梗概」(6‐11頁)

『松竹座ニュース』第三巻第三十九號(1931年8月発行、松竹座、8頁)

「近日封切 笑いと涙の蒲田名篇 東京の合唱」(1頁)
「蒲田が秋を飾った絶対名畫 鬼才小津安二郎監督 東京の合唱」(2頁)

『松竹座ニュース』第三巻第四十號(1931年8月発行、松竹座、8頁)

「蒲田絶対名画 東京の合唱 最近封切
 生活都市・失業都市・東京の合唱!
 彼は大学を出て、世間並みの会社員だ
 それからおかみさんを貰って、三人の子供の父だ。
 それから もう それから、何もする事はなくなった。
 百二十圓の月給で、子供を育てる事と會社へ勤める事と。
 -それから馘になたらどうする?サラリーマンが馘になると
 いうのはそんなに現実と掛け離れた問題ではない。
 社長の命は絶対服従だ!
 彼岡島眞二はこれに反抗した。
 東京―
 二百五十萬の失業者の中の一人に、彼も今日から加えられた。」(1頁)
「東京の合唱 鬼才小津安二郎監督蒲田特作 これこそ心境ものに独自の怪腕を恣に奮ふ悩めるモダン日本の赤裸々なる半面だ!今日の小市民階級のいつはらざる描破だ 学生篇、社会篇、同時封切」(8頁)

『キネマ旬報』No.408(1931年8月1日発行、キネマ旬報社、96頁)

表紙:ビリー・ダウ
「旬報グラフィック 蒲田小津安二郎作品「東京のコーラス」より」(60頁)
見開き広告「東京の合唱」(72-73頁)
「各社撮影所通信 松竹蒲田通信(7月24日調査)小津安二郎氏は、岡田時彦、齋藤達雄、八雲恵美子等の「東京の合唱」の撮影中八月中旬に完成の予定。」(80頁)

『帝國館ニュース』No.125(1931年8月8日発行、浅草帝國館、12頁)

「近日封切 東京の合唱 小津安二郎監督薀蓄傾注笑いと涙の社會諷刺劇」(12頁)

『キネマ旬報』No.409(1931年8月11日発行、キネマ旬報社、108頁)

表紙:フイリップス・ホームス
「日本映画紹介 東京の合唱」(78頁)
松竹蒲田映画
 原作者 北村小松
 脚色者 野田高梧
 監督者 小津安二郎
 撮影者 茂原英雄
主要役割
 岡島伸二 岡田時彦
 妻君すが子 八雲恵美子
 長男 菅原秀雄
 長女 市村美津子
 老社員山田 阪本武
 社長 谷麗光
 秘書 宮島健一
 大村先生 齋藤達雄
 その老妻 飯田蝶子
 医者 河原侃二
 会社の同僚 山口勇
解説 小津安二郎氏の「美人哀愁」に次ぐ作品である。
略筋
「全面広告 東京の合唱」(83頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信(8月4日調査)小津安二郎氏は、「東京の合唱」撮影中、中学生のエキストラ数百名を募集して中学校校庭の場面を終了した。」(94頁)

『松竹キネマ超特選楽譜』No.150 「松竹映画主題歌 東京の合唱」(1931年8月21日発行、松竹キネマ楽譜出版社、6頁)

「東京の合唱 「春はくるくる」
 作詞 サトウハチロー
 作曲 松竹蒲田音楽部
 ハーモニカ編曲 仲谷安一

『キネマ旬報』No.412(1931年9月11日発行、キネマ旬報社、82頁)

表紙:ノーマン・シアラー
飯田心美「主要日本映画批評 東京の合唱」(78頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信 小津安二郎氏の次回作は未だ決定を見ず。」(88頁)
「編集後記 小津安二郎の進むべき、彼の進もうとした、その頂点に「東京の合唱」に於て遂に到達した事は彼の為に喜ぶべきか、悲しむべきかは判らないが、とにかく「美人哀愁」のそぐはなさから出てのこの「東京の合唱」の感触はよかった。村上」(92頁)

『松竹館ニュース』No.95(1931年9月20日発行、浅草松竹館、12頁)

「近日同時公開 東京の合唱
  原作 北村小松、野田高梧
  脚色 野田高梧
  監督 小津安二郎
  撮影 茂原英雄
 小津監督作るところの笑いとナビだの奇しきコーラス・所謂会社員ものの総決算と言っても過言ではない。私たちは笑い乍ら愉快に見ているのだが知らず知らず涙ぐんでいるではないか?私たち小市民生活の日常が明確に描れているからだ!」(8-9頁)

『春は御婦人から』台本(1931年12月2日発行、松竹キネマ株式会社、126頁)

表紙にタイトルはなく、頁を開けるとタイトルとなる。
最終頁に、発行年が「昭和6年十二月二日」とある。封切は、1932年1月29日である。

『帝國館ニュース』No.143(1931年12月11日発行、浅草帝國館、12頁)

「スタジオ往来 『春は御婦人から』小津安二郎監督が新春の絶佳篇として放つべく製作開始したジェームズ・槇原作、池田忠雄、柳井隆雄脚色の『春は御婦人から』は齋藤達雄、城多二郎、阪本武、谷麗光、井上雪子、泉博子等の新鋭メンバーで小津監督一流の緻密な手法で学生生活からサラリーマン迄のユーモラスと戀愛とを綴った人間生活第一頁の朗らかな名篇です。撮影は茂原英雄。」(5頁)

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