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小津監督を巡る文献・資料

小津安二郎を巡る関連文献・資料

1929年の関連文献・資料

全て見る(1376件)
書誌情報
1929
『キネマ旬報』No.318(1929年1月11日発行、キネマ旬報社、120頁)

表紙:ルイズ・ブルックス
内田岐三雄「主要日本映画批評 肉體美」(108頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信(12月26日調査)小津安二郎氏は、「肉體美」に次いで此の程氏自ら原作し、伏見晃氏が脚色した喜劇「寶の山」に着手した。小林十九二、日夏百合繪、靑山萬里子、岡村文子、飯田蝶子、浪花友子、若見多喜子、糸川京子等が共演している。キャメラは茂原英雄氏である。」(116頁)

『松竹ニュース』第三百六十二號(1929年1月15日発行、金澤松竹座、4頁)

「二十日より上映の名篇 肉体美 蒲田独特の正喜劇 小津安二郎監督 飯田蝶子 齋藤達雄主演」(4頁)

『松竹ニュース』第三百六十三號(1929年1月20日発行、金澤松竹座、4頁)

「肉体美
 原作脚色 伏見晃
 監督 小津安二郎
 撮影 茂原英雄
 役割
 梗概 高井一郎は妻の律子に対しては頗る権威がなく、妻が油絵を描くので貧弱な肉体でそのモデルになっていた。金持の爺さん大倉傳右衛門は註文の絵がどの位まで出来上がっているかを見に来た時、高井がいたのでおかしな顔をした。それ故高井はたばこを買いにやられたりして全く夫としての権威を認められなかった或るバーの内部である。高井が大倉に届ける絵を持って這入って来たのを見た。‥」(2-3頁)

『キネマ旬報』No.319(1929年1月21日発行、キネマ旬報社、109頁)

表紙:ナンシー・キャロール
「各社近作日本映画紹介 寶の山」(85頁)
 松竹蒲田作品
原作者 小津安二郎
脚色者 伏見晃
監督者 小津安二郎
撮影者 茂原英雄
 主要役割
丹次郎 小林十九ニ
藝妓 染吉 日夏百合絵
同 麥八 青山万里子
モガ 蝶子 岡村文子
芸者家の女将 飯田蝶子
芸妓 小浪 浪花友子
同 若勇 若美多喜子
女中 おたけ 糸川京子
解説:小津安二郎氏の「肉體美」に次ぐ作品である。
略筋
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信(1月12日調査)小津安二郎氏は、尚既報「寶の山」を作成中である。」(102頁)

『横常週報』第十四號(1929年2月、横濱常設館、8頁)

「小津安二郎監督 伏見晃脚色・茂原英雄撮影 寶の山 近日独占封切」(2頁)

『キネマ旬報』No.320(1929年2月1日発行、キネマ旬報社、166頁)

表紙:チャールズ・ロヂャース
「旬報グラフィック 小林十九二「僕が凧を上げて遊んでいるのに、君なんか来て誘惑しちゃ困るよ。」
日夏百合繪「だからさ、ちょっと百圓ばかり貸して下さりあ、妾、直ぐ帰るからって言っているじゃないの、ケチね」松竹蒲田作品「寶の山」」84頁
見開き広告「寶の山」(110-111頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信(1月24日調査)小津安二郎氏は、引き続き「寶の山」の制作中である。」(132頁)

『東洋座』NO.226(1929年2月8日発行、廣島千日前東洋座宣傳部、4頁)

表紙:「憧れの鈴木傳明・田中絹代突如來廣 十日、十一日の晝夜親しく御挨拶致します。」
「松竹蒲田作品 寶の山 原作監督:小津安二郎 脚色:伏見晃 撮影:茂原英雄 キャスト、梗概」(3頁)

『高千穂館ニュース』No.90(1929年2月22日発行、高千穂館、4頁)

「松竹蒲田作品 寶の山
原作監督:小津安二郎
脚色:伏見晃
キャスト、略筋」(3頁)

『新宿松竹館週報』第五巻第十號(1929年2月22日発行、新宿松竹館、8頁)

「すたでぃおだより ◇小津監督『寶の山』を完成して、次回は伏見晃氏脚色の『思い出』と題するものに着手。出演者は渡邊篤。齋藤達雄。松井潤子などで近く雪の赤倉方面へロケーションに出かける予定であります。」(6頁)

『加賀見山 寶の山 きづな』(1929年2月22日発行、末廣座、1頁)

「花柳 珍喜劇 寶の山」
発行日がないので、封切日とした。

『新宿松竹館週報』第五巻第十二號(1929年3月8日発行、新宿松竹館、8頁)

「『宝の山』配役 原作監督:小津安二郎 脚色:伏見晃 撮影:茂原英雄 略筋」(4頁)
※「略筋 丹次郎は下宿か居候か梅迺家という藝妓屋の二階にヤニ下って毎日意味ない日を明かし暮していた。藝妓の麥八、小浪など、各々彼に思召はあったが、彼は染吉と相愛の仲であった。」

『帝國館ニュース』No.1(1929年3月15日発行、浅草帝國館、12頁)

「御挨拶 支配人 玉木長之輔」(3頁)
「スタジオだより 小津監督の『思ひ出』雪の赤倉からまだ帰りません。しかし素晴らしいスチールを送ってよこしましたから必ず好いものが出来る事と思はれます。そのスキーの爲めに結城も松井潤子も雪焼けで殆どインデアンのやうになって困っているそうであります」(6-7頁)

『松竹ニュース』第三巻第十四號(1929年3月22日発行、浅草松竹館、8頁)

「次週公開 松竹キネマ蒲田独特喜劇
原作脚色 伏見晃
監督 小津安二郎
珍優 齋藤達雄 主演
肉體美 飯田蝶子・木村健兒・大山健二助演
彼のワイフは立派な美術家です。
彼のワイフに対しては頗る権威のないハズでした。ところが俄然ここに素晴らしい大珍事が起こり彼は‥」(6頁)

『帝國館ニュース』No.2(1929年3月24日発行、浅草帝國館、14頁)

「スタジオだより 小津監督の『思ひ出』雪の赤倉から帰って参りました。そしてセットの準備中であります。」(6頁)
「雪の思い出懐かし大學生スキーローマンス 新進気鋭小津安二郎監督 独特の持味発揮大傑作 青春學生スポーツ劇 思ひ出」(9頁)

『蒲田』第八巻第四號通巻第八十一號(1929年4月1日発行、蒲田雑誌社、116頁)

表紙:栗島すみ子
グラヒック「寶の山のスナップで右は小津監督岡村文子で一番はぢは小林十九ちゃん。」(43頁)
村岡義雄「新進三監督よ」(56-57頁)
※冒頭を引用する。「蒲田スタヂオの監督中で、先ず相当な興味を以てその将来を期待するものに、五所平之助と佐々木恒次郎と小津安二郎の三人がいる。」
伏見晃「『思い出』脚色雑記」(63-64頁)
※冒頭を引用する。「赤倉温泉に十日間位居る間にスキーの物語を作り上げて、帰って来てから脚色する、と言う。まことに都合のいい口実で、家の方もうまく騙したつもりがなんかで、暮れの三十日、スキーを担いで、大久保、小津両監督の主催する一行に、まぎれ込んで赤倉へ滑りに行ってしまった。」
「映画物語 小津保次(ママ)郎作品 思い出」(78-79頁)
「スタヂオ通信 小津安次(ママ)郎氏は、既報「寶の山」に次ぐ作品として伏見晃氏原作脚色のスキー映画「思い出」を結城一朗、松井潤子、齋藤達雄等の共演にて撮影中です。」(101頁)

『帝國館ニュース』No.4(1929年4月6日発行、浅草帝國館、14頁)

「スタジオだより 小津監督の『思ひ出』漸く完成しました。最初六巻位の予定で着手致しましたが、監督の細心がトウトウ九巻という大物になってしまいました。あまり長いといふ所長よりのお目玉を恐れて断然カットする考えで整理室に這入って見たが、撮影方法が細かいのでどうにもカットが出来ないので頭を下げました。」(4頁)
「雪の思い出懐かし大学生スキーローマンス 小津安二郎監督大傑作思ひ出改題若き日」(12頁)

『キネマ旬報』No.327(1929年4月11日発行、キネマ旬報社、108頁)

表紙:ベティー・カムプスン
「半面広告 思い出改題若き日」(82頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田(4月4日調査)小津安二郎氏は、「思い出」をほとんど完成したが公開に際しては、「若き日」に改題さるるとい云う」(94頁)

『野良犬 若き日 鳥鵆月白浪』(1929年4月13日発行、末廣座、1頁)

「新進花形結城一郎 珍優 齋藤達雄 姫百合 松井潤子 大競演 英才小津安二郎監督 妙腕発揮近来の傑作(思ひ出)改題若き日」

『高千穂舘ニュース』No.122(1929年4月13日発行、高千穂館、4頁)

「松竹蒲田作品 若き日 スタッフ、役割、梗概」(2-3頁)

『キネマ旬報』No.329(1929年5月1日発行、キネマ旬報社、118頁)

表紙:マーナ・ケネディ
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信 小津安二郎氏は『若き日』に次ぐものとして野田高梧氏原作脚色にかかる喜劇「和製喧嘩友達」を撮影することとなった。渡邊篤、吉谷久雄、結城一朗、浪花友子、若葉信子、高松栄子、大國一郎が共演し、茂原英次氏が撮影を担当している。」(90頁)

『蒲田』第八巻第五號通巻八十二號(1929年5月1日発行、蒲田雑誌社、124頁)

表紙:田中絹代
グラヒック「思い出」(12、26-27頁)
グラヒック「赤倉へロケーションした『思い出』のスナップで伏見晃、小津安二郎、齋藤達雄、茂原英雄のミナサンのお顔が見える」(41頁)
グラヒック「脚本部の御大、ノダ・高梧先生のマブシ相なカホ」「大きいのが二人、小津安二郎と清水宏の両監督、クワエタバコが似合います。」(42頁)
「松竹キネマ蒲田下加茂封切記録 寶の山」(89頁)
「スタヂオ通信 小津安二郎氏は、既報「思い出」のロケーションを了し、目下セット進行中なれば近日完成の予定です。」(109頁)

『横常週報』第二十六號(1929年5月10日発行、横濱常設館、8頁)

広告「近日封切乞御期待 小津安二郎監督獨得の喜劇 和製喧嘩友達」(7頁)

『キネマ旬報』No.330(1929年5月11日発行、キネマ旬報社、108頁)

表紙:カミラ・ホルン
中川信夫「寄書欄 「若き日」私評(賞)」(53頁)
※冒頭引用する。「小津安二郎はデリケイトな神経を働かせる監督の一人である。精密なコンティニュイティのように末梢神経の尖っている一人である。日本にもかように克明な描法をもつ監督を有つことは慶すべきである。「寶の山」はその克明さの極点の如き美を就した。」
内田岐三雄「主要日本映画批評 若き日 紹介」(92頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信(5月2日調査)小津安二郎氏は、前號所報の「和製喧嘩友達」の撮影中である。」
T・K生「宇治山田通信」(101頁)

『帝國館ニュース』No.10(1929年5月18日発行、浅草帝國館、16頁)

文字広告「和製喧嘩友達」(9頁)

『キネマ旬報』No.331(1929年5月21日発行、キネマ旬報社、90頁)

表紙:ローラ・ラプラント
「旬報グラフィック 一作品毎に進境を示す。蒲田の新人小津安二郎の新作「和製喧嘩友達」に於ける結城一朗と浪花友子」(56頁)
「各社近作日本映画紹介 和製喧嘩友達」(68頁)
※小津安二郎氏の「若き日」に次ぐ監督作品である。
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信(5月13日調査) 小津安二郎氏は、引き続き既報「和製喧嘩友達」を撮影中である。」(80頁)

『松竹座週報かがやき』第百十四號(1929年5月30日発行、松竹座、4頁)

「雪の思ひ出!懐かしの學生時代!恋と運動火華となって夢現なる素晴らしきローマンス
思い出改題 若き日 愈々来週 一九二九年度の彗星兒 小津保次郎(ママ)大傑作」(1頁)
「思い出 若き日 悪魔の曲芸團 萬花地獄第一篇 萬花地獄第二篇」(4頁)

『ちゆうあう・にゆうす』第壹百號記念號(1929年5月30日発行、名古屋広小路中央舘企画部、4頁)

「今週の映画 若き日 小津安二郎監督 配役、梗概」(3頁)

『キネマ旬報』No.335(1929年7月1日発行、キネマ旬報社、122頁)

表紙:コリーン・ムーア
「和製喧嘩友達」(一面カラー広告)(83頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信(6月24日調査)小津安二郎氏は、豫て監督中の「和製喧嘩友達」を此の程完成に至った。」(108頁)

『面影 和製喧嘩友達 大空の凱歌 劍侠乱舞』(1929年7月5日発行、末廣座、1頁)

「近代諷刺劇 和製喧嘩友達」
発行日がないので、封切日とした。 

『東洋座』NO.249(1929年7月11日発行、廣島千日前東洋座宣傳部、4頁)

「松竹蒲田作品
和製喧嘩友達 原作脚色:野田高梧
       監督:小津安二郎
       撮影:茂原英雄
       キャスト・梗概
       解説:川路健」(3頁)

『キネマ旬報』No.338(1929年8月1日発行、キネマ旬報社、132頁)

表紙:ジューン・コリアー
「各社近作 日本映画紹介 大學は出たけれど」(83頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信(7月23日調査)小津安二郎氏は、尚「大學を出たけれど」を撮影中である。」(112頁)

『キネマ旬報』No.339(1929年8月11日発行、キネマ旬報社、100頁)

表紙:ルネ・アドレー
「旬報グラフィック 大學は出たけれど」(62頁)
岡村章「主要日本映画批評 和製喧嘩友達」(92頁)
「撮影所通信 松竹蒲田通信(8月3日調査)小津安二郎氏は、既報「大學は出たけれど」を殆ど完成したが、毎日晴天続きのため、降雨のシーンが撮れないので、雨天を待って完成する筈」(94頁)

『キネマ旬報』No.341、十周年記念特別号(1929年9月1日発行、キネマ旬報社、380頁)

表紙:ナンシー・カロール
「松竹キネマ特作映画 大学は出たけれど」(広告)(194頁)
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信 小津安二郎氏は南の東京駅前の一シーンだけを残して全部完成」(212頁)

『月刊映画と演藝』第六巻第九号(1929年9月1日発行、東京・大阪朝日新聞社、64頁)

表紙:ローラ・ラ・プラント
「松竹映画 『大學は出たけれど』(23頁)
※「再び小津安二郎氏による近代人的のスマート・コメディ大学はでたけれど、どうも職が思はしくない彼が、職を求めるためにどんな痛快な月日を送ったかのストオリイで高田稔(左)と田中絹代(右)とがうまい芝居をやって退ける」
伏見晃「蒲田のモボ、モガ」(36-37頁)
※「俳優以外でモボ、モガ的色彩の濃厚な人々をピックアップして見せろ、という御注文、宜しいと引受けたもの、さて見廻して見ると、いささか慌てざるを得ない。居そうで居ないのが、このモボ・モガである。案外撮影所などにはモボもモガも居ないんじゃないかしら、という懸念さへ湧いて来る。が、しかし引受けた以上、義理にも一渡り当たってみる必要がある。で、先ず一番主脳部の監督から始める事にする。野村芳亭氏、牛原虚彦氏、池田義信氏、島津保次郎氏と、どうも皆ボーイではなさそうだ。そこへ行くと若手監督の中には、ボツボツ御注文に近い人が居そうでもある。先ず、五所平之助、重宗務、清水宏、佐々木恒次郎、小津安二郎、豊田四郎の諸監督。そこで第一に白羽の矢が立つのが、燻屋鯨平こと小津安二郎監督だろう。拳闘家(ボクサー)の様な立派な体格を明るい灰色(グレイ)がかったスマートな服と真白なワイシャツに包んで、ニコニコと現れる。靴はちょっと痛いのを我慢しては居るが、撮影所広しと言えども、清水監督と彼氏と、かく言う私の三人だけが用いている。コードバン。其処で持ち物を検査する。第一に目につくのが、ダグラスの點火器(ライター)にカギ巻きの懐中時計。そして、彼氏の嚢中(のうちゅう:財布)は、…元来モダン・ボーイなんてあまりお金を持って居ないキソクになって居るんだが、彼氏はそのキソクを破って、時折月給より多い金を持って居ることがある。そしてフレーデルマウスの顧客であり、彼氏の知人が行く度に、そのマウスのお清さんと言うのが『小津さんに宜しく』と言うのである。が以上は、彼氏が仕事をしていない時の話で、もし一度仕事が始まると、フレーデルマウスの顧客は、忽ち珍々軒の顧客となり参観の女学生が『まあなんて汚い監督でせう』と囁き合ったと言ふ、いみじくも変わり果てた姿となって炎熱百有餘度のステージのなかでハイ!である。が、仕事が終われば、明るいグレイの洋服と真白のワイシャツが彼氏の拳闘家のような見事な身体を包んで、靴は少々痛いが『さっき働いていた汚い監督は誰だい』と言った顔で、サッソウとして撮影所を出ていくのである。」
フレ-デルマウス:ドイツ語で「こうもり」を指す「フレーデルマウス」 、「カフヱ通」(1930)を著わした酒井眞人は「まっとうなバー」として紹介しており、雑誌「ドノゴトンカ」の昭和4(1929)年7月号も同店を「お客をあまり構わないバア」(つまり干渉しない)としており、日本のバー好きの評価は高かった。
 小さくて隠れ家的な店だったことは当時の店内を描いた織田一磨のリトグラフ「画集銀座 第一輯/酒場 フレーデルマウス」(1928年)からも偲ばれる。紫煙たなびく薄暗い店内のシェードで覆われた電燈の灯りのむこうに白いメスジャケット(バーコート)に身を固めたバーテンダーの姿が見える。ドイツ人ボルクの経営で、輸入物のドイツビールを出していたという。

『KABUKIZA NEWS』(1929年9月6日発行、上京都新京極歌舞伎座編輯部、6頁)

「蒲田撮影所超特作映画 ”大學は出たけれど”」
原作:清水宏
脚色:荒牧芳郎
監督:小津安二郎
撮影:茂原英雄
配役・梗概」(2頁)
発行日がないので、封切日とした。

『伊勢音頭 柳咲子十八番舞踏集 大學は出たけれど 無理矢理三千石』(1929年9月6日発行、末廣座、1頁)

「憧憬の名花田中絹代、美男高田稔大競演 大學は出たけれど」

『松竹ニュース』第三百九十四號(1929年9月12日発行、金澤松竹座、4頁)

広告「蒲田超特作映画 小津安二郎監督作品 原作:清水宏 撮影:茂原英雄 大學は出たけれど」(4頁) 

『東洋座』NO.259(1929年9月20日発行、廣島千日前東洋座宣傳部、4頁)

「松竹蒲田映画 大學は出たけれど
 原作:清水宏 脚色:荒牧芳郎 監督:小津安二郎 撮影:茂原英雄
 配役・略筋 解説:川路健」(2頁)
  

『蒲田』第八巻第十號通巻第八十七號、蒲田撮影所創立十周年記念號(1929年10月1日発行、蒲田雑誌社、146頁)

表紙:田中絹代
グラビア「大學はで出たけれど」(24-25頁)
グラヒック「大學は出たけれど」の田中絹代と高田稔の両人。(46頁)
グラヒック「大學は出たけれど」の撮影に横浜の海岸公園にロケーションした時のもの。監督・技師・俳優の一同。一寸一服といったところです。右から小津監督、高田稔、茂原技師、大山健二、その他の面々」(48頁)
「スタヂオ通信 小津安二郎氏は、既報の「大學は出たけれど」を完成後次回作未定です。」(131頁)

『キネマ旬報』No.344(1929年10月1日発行、キネマ旬報社、148頁)

表紙:バーバラ・ケント
岡村章「主要日本映画批評 大學は出たけれど」(107-108頁)
「撮影所通信 松竹蒲田通信(9月13日調査)小津安二郎氏が「大學は出たけれど」に次ぐ作品は野田高梧氏の原作脚色になる諷刺喜劇「會社員生活」と決定。直ちに製作を開始した。主演は斎藤達雄で、吉川満子、阪本武、小藤田正一、加藤清一等が共演している。キャメラマンは茂原英雄氏である。」(126頁)

『松竹ニュース』第三百九十七號(1929年10月3日発行、金澤松竹座、4頁)

広告「大學は出たけれど」(3頁)

『帝國館ニュース』No.31(1929年10月17日発行、浅草帝國館、12頁)

「會社員生活の表裏を朗らかに描く快心の作 會社員生活 鬼才小津安二郎監督 巧妙細緻の手腕発揮 獨特秀麗佳篇」(9頁)

『新宿松竹館週報』第五巻第四十四號(1929年10月25日発行、新宿松竹館、8頁)

「小津安二郎原作監督
 脚色:野田高梧
 撮影:茂原英雄 會社員生活
 珍型齋藤達雄大珍演 近日上映」(7頁)

『世界館ニュース』第49號(1929年10月31日発行、世界館、4頁)

「會社員生活 原作・監督・キャスト・梗概」(2頁)

『月刊映画と演藝』第六巻第十一号(1929年11月1日発行、東京・大阪朝日新聞社、48頁)

表紙:グレタ・ガルボ
「松竹映画集 『會社員生活』(小津安二郎作品)」(15頁)
※「斎藤達雄が會社員塚本信太郎先生、吉川満子が同福子令夫人、小藤田正一が長男で、加藤清一が次男で、以下ズラリと列んで、先生の月給が百二十圓で-と、微笑ましきは會社員生活よ、モダン・ライフよ、人生よ!と、蒲田随一の才人小津安二郎氏が物した小品。都会的教養のあるファンにはジャンジャン受けた事である。」

『東洋座』NO.267(1929年11月7日発行、廣島千日前東洋座宣傳部、4頁)

「會社員生活 松竹蒲田映画
 原作監督:小津安二郎
 脚色:野田高梧
 撮影:茂原英雄
 配役・略筋 解説:川路健」(3頁)

『帝國館ニュース』No.35(1929年11月15日発行、浅草帝國館、12頁)

「スタジオだより 小津安二郎監督 齋藤達雄主演『突貫小僧』完成、高田稔、川崎弘子主演『朗らかに歩め』撮影中」(6頁)
「小津安二郎監督 突貫小僧 齋藤達雄主演」(7頁)

『キネマ旬報』No.349(1929年11月21日発行、キネマ旬報社、112頁)

表紙:リチャード・バーセルメス
「旬報グラヒック 人攫い商売の野呂間の悪人が純真な子供心にほだされて知らず知らずに真人間に立ち戻るというお話。ユーモアと皮肉たっぷりな蒲田の小品喜劇。小津安二郎監督作品。齋藤達雄と青木富夫」(77頁)
「各社近作 日本映画紹介 突貫小僧」(96頁)
※解説 小津安二郎氏の『會社員生活』に次ぐ作品である。
岡村章「主要日本映画批評 會社員生活」(103頁)
※冒頭を引用する。「一小市民の生活をリアリスティックにスケッチした極めて軽いものであるが、これほど如実に社会層を示し、そうして一つの生活を描いた主題を未だ見たことがない。」
「日本各社撮影所通信 松竹蒲田通信(11月13日調査)小津安二郎氏は前號所報の「突貫小僧」を殆ど完成した。これに次ぐものとしては前號に一時中止を報じた「生きる力」を引き続き製作することとなるべく従って「朗らかに歩め」はこれが完成後着手することとなった。」(106頁)

『松竹座ニュース』Vol.2 No.45 (1929年11月23日発行、札幌松竹座、8頁)

「突貫小僧は最近メキメキと売出した小津安二郎監督の得意の掌篇喜劇、ピリッとした味のよさを味わって下さい。」(3頁)
「突貫小僧
 原作 野津忠二
 脚色 池田忠雄
 監督 小津安二郎
 撮影 野村昊
 配役 人攫い文吉 齋藤達雄
    鐵坊 青木富夫
    親分權寅 阪本武
 梗概
 解説 柳楓昭 
 曲目選定 原田強二 」(5頁)

『横常週報 増刊號』(1929年12月1日発行、横濱常設館、8頁)

「突貫小僧 
 原作 野津忠二
 脚色 池田忠雄
 監督 小津安二郎
 撮影 野村昊
 配役 人攫い文吉 齋藤達雄
    鐵坊 青木富夫
    親分權寅 阪本武
 梗概 」(6頁)

『新宿松竹館週報』第五巻第四十九號(1929年11月29日発行、新宿松竹館、8頁)

「突貫小僧
 原作 野津忠二
 脚色 池田忠雄
 監督 小津安二郎
 撮影 野村昊
 配役 人攫い文吉 齋藤達雄
    鐵坊 青木富夫
    親分權寅 阪本武
 梗概 」(3頁)

『帝國館ニュース』No.39(1929年12月15日発行、浅草帝國館、12頁)

「新春映画中の大偉観蒲田が世に誇る大傑作 ”センチメンタル・ワイフ”改題 結婚學入門 鬼才小津安二郎監督全力傾注大傑作」(8頁)

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